田川に元気を取り戻す!

村上たくや

昭和451019日生 (52歳)
田川高校・福岡大学卒
田川市議会議員

MESSAGE

メッセージ

田川に元気を取り戻す!
みなさんと一緒に。

田川に元気を取り戻す!みなさんと一緒に!!

こんにちは。村上たくやです。
田川生まれ、田川育ちの52歳です。

これまで、田川市議会議員として2期8年、田川市政に携わって参りましたが、政治の道を志すきっかけは、小・中学校のPTAに携わったことでした。

学校行事などに関わる中で、子どもたちの才能の豊かさに驚かされるとともに、田川市にはこの才能を伸ばしてあげる環境が必要だと強く思うようになったのです。それを実現するためにはどうしたらいいか?たどり着いた答えが政治家の道でした。

市政と向き合い取り組む中で、教育環境の整備以外にも、少子高齢化、経済の停滞、生活基盤の維持など、数え上げればきりがないほど多くの課題を目の当たりにしてきました。

その一方で、一つ一つの課題に真摯に取り組み行動することで、田川市は変われる、もっともっと素敵な町になるということを実感した日々でもありました。

これまでも、そしてこれからも、真摯に市政に向き合い取り組み、誰からも後ろ指を指されることのない“市民第一の政治姿勢”を貫いて参ります。

みんなで田川市に元気を取り戻しましょう!

POLICIES

7つの基本政策

「未来への投資」と
「ガラス張りの市政運営」で、
田川に元気を取り戻す!

1

子育て支援で、田川に元気を取り戻す!

産み。育てたくなる田川へ。

産み、育てたくなる田川へ。

  • 不妊治療支援を拡大・拡充します。
  • 全ての保育園・幼稚園での手ぶら保育(おむつ、ミルクなど)を実現します。
  • 子育て世帯への支援拡充、子ども食堂の支援拡充を実施します。
  • 保育士/医療従事者など子育てに関わる方たちが働きやすい環境を整備します。

2

教育改革で、田川に元気を取り戻す!

田川市の子ども達は、未来への光です。

田川市の子どもたちは、未来への光です。

  • すべての小中学生の学校給食の完全無償化します。
  • 高校生までの医療費を無償化します。
  • 義務教育に必要な教材費や制服・体操服・卒業アルバムなどの「隠れ教育費」を削減します。
  • LINE等の活用による、子育てサポート、保護者負担・教員負担を軽減します。
  • 学校職員の部活動負担を削減し、教職員の働き方改革を断行します。
  • 部活動や習い事の⺠間活用制度を整備し、子どもたちのスポーツ・芸術・学習などの才能を伸ばします。

3

福岡県立大学との二人三脚で、田川に元気を取り戻す!

田川の“知”の拠点を最大化することで、新たな未来を切り開く。

田川の“知”の拠点を最大化することで、
新たな未来を切り開く。

現在、看護学部と人間社会学部の2つの学部を有する県内屈指の医療系・福祉系大学が、福岡県立大学です。
一方で、大学を卒業した後の進路として、地元・田川に残っていただける卒業生は、それほど多くはありません。また入学する学生も、地元出身の方はそれほど多くはありません。大学の場所こそ、市の中心部にありますが、多くの田川市⺠にとって近くて遠い存在です。
大学が中心にある田川市はとても恵まれていますので、大学との連携を強化し、未来志向の新たな街づくりを実現します。

文教地区をつくる

文教地区をつくる

現在、筑豊には“文教地区”が存在しません。子育て・教育がしたくなる町になるために、“文教地区”を田川市内に構築するというのは有効な手法だと考えています。大学を中心として文教地区の実現を目指します。

医療系の新学部の創設

医療系の新学部の創設

平成4年(1992年)の開学以後、平成15年(2003年)に看護学部が開設されて、20年が経過します。今後ますます医療系人材が求められる世の中となりますので、医学部や薬学部など、あらたな医療系学部の新設を目指します。

地元の病院などとの連携強化

地元の病院などとの連携強化

田川市立病院をはじめ、田川市内には多くの医療機関・福祉施設があります。これらの機関・施設と県立大学の連携は急務です。優秀な人材に田川で就職してもらう機会を創出。就職連携の強化を促します。

県立高校との連携強化

県立高校との連携強化

田川には、多くの県立の高校があります。同じ県立の学校である、大学と高校とで連携を強化することで、田川の高校生の進学先として選ばれやすくなり、また、大学卒業後の地元への就職や定住など、将来の田川へも好影響を与えられます。

4

高齢者福祉の拡充で、田川に元気を取り戻す!

人生100年時代を見据えたまちづくりを目指します。

人生100年時代を
見据えたまちづくりを目指します。

少子高齢時代にあわせた暮らし・生活の利便性の向上を実現し、シニア世代がいつまでも元気に輝く地域社会を実現します。

医療
  • 訪問医療・訪問介護制度を充実します。
  • 介護施設の待機問題を解消し、満足度の高い介護施設の拡充へ改革を推進します。
  • デイサービス、特養など、こだわりに合わせた暮らし方の実現を支援します。
交通
  • 鉄道、バス、タクシーなどの公共交通事業者との連携を強化し、暮らしの不便を解消します。
  • 皆様の声を伺いコミュニティバスの拡充を実現します。
  • デジタル通信基盤を市内全域で整備することで、見守り・防犯・防災に役立てます。
収入
  • 高齢者の再就職の促進により担い手不足を解消します。
  • 医療費負担の軽減などで、実質手取り収入を増やします。
  • 看護師/介護士など福祉に関わる方たちが働きやすい環境を整えします。

5

地場産業の育成・支援で、田川に元気を取り戻す!

人生100年時代を見据えたまちづくりを目指します。

田川市の経済の主役は
地域に根付く企業や農業、商業を営む皆さんです。

田川には素晴らしい技術や商品を開発している企業や事業主がたくさんおられます。
そのような取り組みの情報発信を行い、トップセールスを実行します。

  • 中小企業の強固な経営基盤づくりを支援し、持続可能な経営に力を注ぎます。
  • 少なくなってしまった大手企業の誘致で働き口/転職先を増やし、雇用を拡充。元気な街を取り戻します。
  • 田川がビジネスの拠点として選ばれるような活気のある街づくりを実現します。
  • 農業・製造業・流通業などを結び付け、6次産業化を促進し新たな商品開発の支援を実施します。
  • 官⺠学連携した創業・起業支援にも力を入れ、例えば若い人などが空き店舗で新規開業しやすい環境を整え、伊田商店街や後藤寺商店街の再活性化に貢献します。
  • 小中学校の廃校化は、地域課題・住民のみなさんの不安材料のひとつでもあります。空き校舎の事業拠点化や企業誘致、新産業の育成ベース化、地域振興・地域スポーツの場づくりなど、廃校利活用を推進します。

6

環境保護で、元気を取り戻す!

人生100年時代を見据えたまちづくりを目指します。

50年後、100年後にも、
僕たちの田川の原風景を残したい。

田川市の豊かな自然は田川市⺠の誇りです。
近年は、田川ではこの誇りが打ち砕かれようとしています。
一度破壊すると再生することが困難な自然を何としても守らねばなりません。
環境を守るための条例を整備し、皆さんと一緒に田川の自然を守り抜きます。

7

公平・公正・ガラス張りの市政で、元気を取り戻す!

人生100年時代を見据えたまちづくりを目指します。

待ったなし!
情報公開は田川の生命線です。

情報公開は行政の基本です!
公平・公正な市政をすすめるために税金の使い道を全て隠すことなく公開しガラス張りの行政を実現します。
徹底した情報公開のもとに市⺠の皆さんの声を聞く機会を多く設け積極的に市政に参加して頂くことで新生・田川市を創ります。

初当選の2015年から8年間、自民党の議員として活動してきました。

そんな私が「クリーンな政治を取り戻したい」と市長選への立候補を表明した時から

与野党の会派を超えて、多くの方々が支持を表明してくださいました。


思想・信条に差はあっても、

今のこの状況をなんとしてでも変えなければならない

田川市政を、田川市民の手に取り戻さなければならない」という危機感は同じです。

今こそ、市民の手に田川市政を取り戻しましょう。

初当選の2015年から8年間、自民党の議員として活動してきました。

そんな私が「クリーンな政治を取り戻したい」と市長選への立候補を表明した時から与野党の会派を超えて、多くの方々が支持を表明してくださいました。


思想・信条に差はあっても、

今のこの状況をなんとしてでも変えなければならない」「田川市政を、田川市民の手に取り戻さなければならない」という危機感は同じです。

今こそ、市民の手に田川市政を取り戻しましょう。

PROFILE

プロフィール

真摯に市政に取り組み
市民第一の政治姿勢を貫く

村上たくや

村上たくや

昭和45年10月19日生 (52歳)
田川市高住町生まれ

趣味 : 温泉巡り
好きな食べ物 : 地どり

学歴

  • 福岡県立田川高校卒業
  • 福岡大学経済学部経済学科卒業

職歴

  • 田川信用金庫
  • 安田火災海上保険株式会社
  • 保険代理店として独立

田川市議会議員での経歴

  • 建設経済委員会 副委員⻑
  • 議会運営委員会 委員⻑
  • 総務文教委員会 委員⻑

その他公職

  • 田川地区保護司会保護司
おいたち

おいたち

誕生 〜 幼少期

田川市高住町に1つ上に姉を持つ⻑男として生まれ好奇心旺盛でわんぱくな幼少期を過ごしました。

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遊び場はもっぱら近くのぼた山や豊前坊さん(高住神社)辺りで毎日のように近所の同世代の友達と遊びまくってました。外で遊ぶのでよくケガもしました。幼稚園の入園式の少し前にも溝に落ちてアゴを縫うケガをしたもので、入園式の写真にはアゴにガーゼをあてた姿がしっかり残っています。

幼稚園でもずいぶん先生の手を煩わせたらしく幼稚園の同級生のお母さん方には今でも名前を覚えられている始末です。一方で私の父は厳格で無口。お陰でこの頃に撮られた写真の私はほぼ敬礼をさせられています。なぜ、そんな父から私のようなおしゃべり好きが生まれたか自分でもいまだに不思議ですね。

母は今思うと教育熱心だったようでこの頃には英会話の教材が家にあって、姉とよく英語のカセットテープを流して聴いてました。

母は将来世界を股にかけて活躍する子供たちの姿を思い描いていたのでしょうが残念ながら姉も私もその期待に応えることは出来ませんでした。

母ちゃんごめん。

誕生〜幼少期

小学校 〜 高校

後藤寺小学校に入学してからもしばらくはわんぱくに⻭止めはかからなかったようで、よく菓子折を持った母に連れられて同級生の家を訪ねて行ってた記憶があります。

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そして4年生の時にその後の私の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる経験をしました。弓削田小学校への「転校」です。

もともとわんぱく坊主でしたので転校することに不安は全くなかったのですが、転校生というのはやたらと注目されるもので、時にそれが喧嘩の種にもなります。何度か喧嘩も経験しましたが、今の私を支えてくれているのは、そんな喧嘩がきっかけで広がった友達です。また6年生の時には私の(児童の)ために本気で涙を流して下さる恩師と出会えたことも人生の幸運でした。

中学生活は部活動(バレー部)中心の日々でした。当時の弓削田中学校は上下関係が非常に厳しく先輩方から今では考えられないような指導を受けてました。そのせいか体育会系の部活動はどれもそれなりに成績は良く、私たちも県大会にも出場することが出来ました。部活動以外では生徒会⻑もやらせてもらいましたし、なかなか充実した中学生活でした。

充分に中学校生活を満喫したのちに田川高校に進学しました。高校でもバレー部に入りましたが、勉強や部活動以外の世界が広がり、あらゆる誘惑に負け続けて部活動以外の時間は遊んでばかりでした。

そんな感じでしたから当然のように大学受験には失敗し浪人生活に突入しました。とは言え、生まれもって楽天的な性格ですので、全ていい経験になったと捉えています。

小中高

大学

浪人後に進学したのは福岡大学経済学部です。大学では文系学生にはありがちですが遊びとアルバイト優先の生活でした。

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本来は生活するためのアルバイトなのでしょうが私の場合は遊ぶためのアルバイトでしたので食事はもっぱらお米だけ炊いてノリの佃煮やふりかけで食べる感じでした。メインでやってたアルバイトは信販会社の督促業務でした。

要するに支払いの遅れている顧客に支払いを促す仕事です。時間も自由で時給も良く、立地も親不孝通りの入り口と申し分のないアルバイトでした。

当時、かなりの数の学生が在籍していましたが、今思えば、あんな業務を学生に任せてよかったのかと少し疑問に思うところもあります。しかし、なかなか経験できることではありませんし、その時の同僚の何人かとはいまだに年に1回2回は集まって酒を酌み交わし当時の思出話に花を咲かせています。

また、妻との交際が始まったのも大学時代でした。

大学

新卒 ・ 社会人

卒業後はとにかく田川に戻って就職したいと思っていた私は運良く田川信用金庫に受け入れて頂きました。

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金田支店に配属され渉外係(外回り)として社会人生活をスタート。信用金庫はほとんどの職員が田川の方たちでとてもアットホームな職場でした。永く勤めたわけではありませんが、この間、先輩上司にはとても可愛がって頂き退職して20年以上たった今でも折に触れて支えて頂いています。

退職後は少しのインターバルの後に安田火災海上保険(株)(現在の損保ジャパン)に代理店研修生として就職し3年間の研修を経て無事に代理店として独立を果たしました。この研修期間はなかなか厳しく、3ヶ月毎に行われる査定で少しでも成績が足りてなければ、そこでクビになるという仕組みで無事に独立できるのは2〜3割だったと記憶しています。人柄や仕事に取り組む姿勢なんかは一切考慮されない完全に成績だけで評価される感じですね。日々数字に追われ飛び込み営業もかなりやりましたのでメンタルはずいぶん鍛えられたと思います。

新卒・社会人

結婚 ・ 子育て

私には妻と3人の子供がいます。結婚したのは田川信用金庫に就職した年の7月、つまり就職して3ヶ月後には結婚するという無鉄砲さで周囲を驚かせました。

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その後、⻑女、⻑男、次男と3人の子供を授かりましたが休日以外はあまり子供と接する事はなかったように思います。特に独立を目指していた時期はとにかく人に会う事を大事にしていたので夕食を家で取るのは週に1〜2回程度だったと思います。ただ子供たちをお風呂に入れるのだけは私の役割で仕事終わりに一度家に帰り子供たちをお風呂に入れてからまた出ていくの繰り返しでした。ある日、いつものように子供たちをお風呂に入れて「行ってきまーす!」と家を出ようとしたところ見送りに出てきた⻑男から「また来てねー!」と満面の笑みで言われたのは今でも良い?思い出です。子供たちから見た当時の私の位置付けは「父親」ではなく「お風呂に入れてくれるおっちゃん」だったんでしょうね。それでも私にとって子供たちはとても可愛く私がやって楽しかった事や、やりたくても出来なかった事など可能な限り様々な体験させようと努めてきました。勉強に関しては興味があればやればいいし、興味がなければ無理に押し付ける必要はないというスタンスでした。それよりも、その時しか経験できないようなことを沢山やって欲しいと思っていました。妻は子供たちには勉強を頑張って欲しかったようで、時にぶつかることもありましたね。

子育てに正解があるのかどうかは分かりませんが、幸いにも3人の子供は本当にまっすぐに育ってくれたと思います。子育てが大変な時期にあまり家に居なかった私にたいした文句もなく支えてくれた妻には本当に感謝しています。

結婚・子育て

田川市議になる 〜 現在

私は現在、田川市議会議員を2期勤めさせて頂いておりますが、政治の道に入ろうと決意したのは平成23年の統一地方選挙のすぐ後の事だったと記憶しています。

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保険代理店として独立してからは比較的自由に時間を作れるようになったことから、小・中学校のPTAに携わってきました。学校や子供たちに関わる中で子供たちの才能の豊かさに驚かされるとともに、田川市にはこの才能を伸ばしてあげる環境が必要だと強く思うようになりました。そのためにはどうしたらいいのか?たどり着いた答えが議員になる事だったのです。妻は大反対でしたが...

議員になってからの8年間は本当にあっという間で思いを形にすることの難しさを痛感しています。

議員を目指したきっかけは教育環境の整備で必ず実現しなければならない課題ですが現在の田川市は本当に多くの課題を抱えています。少子高齢化、経済の停滞、生活基盤の維持や整備、数え上げればきりがないほどですが一つ一つの課題に真摯に取り組み行動していくことで必ず田川市はもっともっと元気になれると信じています。今後も真摯に市政に取り組み、誰からも後ろ指を指されることのない市⺠第一の政治姿勢を貫いて参ります。

みんなで田川市に元気を取り戻しましょう!

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